ダメなのは知ってるけど

ささくれ千切っちゃったりする

日本賛美と、人間に憧れるロボット

日本が褒められること、そのこと自体はうれしいし、好きだ。

自分に自信がないから、そんなことに承認欲求を託すしかないのだ。

など、と言われる方もいらっしゃるが

単純に、所属先が褒められるのは、うれしいものである。

が、最近はそんな番組が増えすぎたのか、ネットを中心に反対意見が増えた。

なるほど、私も同じだ。ヤリスギ!キモイ!と思う。

 

考えるに、最初は、こうではなかったのだ。増えたのがキモイ理由ではない。

やり方が違ったはずだ。

ネットや、TV番組で、日本を賛美するものは、昔からあった。

当然、外国人が褒めているのだ。

そうでなくてはいけない。外人さんが褒めるから気持ちいいのだ。

自画自賛ではダメ。

最初は、外国の新聞や、TV番組を翻訳してた。

外国人が、書き込んだり、記事にしたり、製作した番組で、日本を褒めている。

それを、日本語に翻訳して、日本人向けに紹介した。

それを観て、なんとなく誇らしく思うってのが好きだったんだ。

少なくとも数年前までそうだった。

 

 

何がダメって、結局は

自分で作ってるのが、きもちわるい のだ。

何やってんだよ。自分で自分を褒めるなんて

そりゃ、外人は日本賛美の番組を毎週やるほどは、褒めてくれないよ。

でも、自分で作るってのは、本末転倒だよ。

 

この感覚、むず痒さ、気恥ずかしさ、別のことでも、感じていたことを思い出した。

昔から嫌いだった話の展開があった。観ていて、むず痒くなるようなお話。

 

ロボットが人間に憧れるお話

昔から今に至るまでSF作品では、思いつくだけでもかなりの数だ。

映画、小説、漫画で ロボットがいる一話完結ものだと、必ず一回はあるテーマだと思う。

 

人間はすばらしい。人間になりたい。かなしいってなんですか?涙を流したい。

 

別にロボットだけに限った話ではない。

木彫りの人形だって、異星人だって同じだ。

 

どんな名作でもこのシーンがあるとダメだった。

まず、理性的な部分で感情にブレーキがかかる。

なんでよ?と、なんでなん?なんでそんなんなるん?と

でも、一番の理由は

日本賛美番組と同じ構造でダメだったんだ。

子供のときに感じた、むず痒さと気恥ずかしさの正体はこれだったんだ。

 

究極の自画自賛、究極のヤラセでしょ これって

人間達(自分達)が、作り出した、実際には存在しない

究極の「外からの人」「外人」「他者」である

ロボットや 人形や 異星人たちに

人間(自分達)の考えたお話の中で、人間(自分達)を憧れさせる

 

人間になりたいですぅー!と、人間がロボットにリモコン操作をして言わせているのだ

人間ってなんて素晴らしいのぉー!と、人間が異星人のキグルミを着て言っているのだ

 

日本のTV局が作る、日本賛美番組で

日本を褒める外国人さんの背中にもチャックが見える気がする

なんで、気持ちよくなるための番組でこんな恥ずかしい思いをしなくちゃならんのだー

 

ピノキオ(吹替版)

ピノキオ(吹替版)