ダメなのは知ってるけど

ささくれ千切っちゃったりする

天才と呼ばれることが嫌いな天才

天才と評される人達は、大体そうだ。天才と言われるのを嫌う。

俺は天才だーの人も居るけどね。

努力を否定されたような気持ちになるのだろう。わかる気もする。

野球のイチローも言っていた。俺は天才じゃないと。

小さいころから、すごく野球の練習をしていたはずだ。学校で一番野球が上手いのは俺だ。しかし、一番練習しているのも俺だ。俺より練習するやつがいれば、そいつが一番になるかもしれない。そんな所だろう。

では、イチローなどの天才の思う天才ってこんな人だろうか?

へぇー、この遊び、野球っていうんだ。この棒でその球を打てばいいんだね。

面白そうじゃん。ちょっと投げてみてよ。

俺は、この学校のエースだぞ! まあいい、ちょっと驚かせてやるか。ふんっ!!

カキン!

なっ!こいつ当てやがった。俺のカーブを、、、、

これ カーブって言うんだ? さっき一度観たよ。こういうのまだ他にもあるの?投げてみてよ。ニヤリ

こっこいつ! 汗タラー

 

天才の思う天才ってこういう人の事を指しているのではないか?

自分はカーブを打つために、毎日何時間も練習した。だから努力の人であって天才ではないと。

自分より努力してる人を知らないとか、そういった所からの発言ではないだろうか?

子供にやれば出来るよ!がんばれ!ってメッセージを送っているのも、多少あるかも知れないが、本心からそう思っているのだろう。

ただ、メジャーリーグで何十年以上も更新されなかった記録を、塗り替えた人間は、少なくとも天才じゃなきゃ困るのです。イチローのことばかり言ってるけど、天才を否定する人間で真っ先に思いつく人物だし、地元だし、イチロー記念館にも行った事もある俺だから、イチローも許して欲しい。

考え方は理解できるんですけどね。別に天才って思ってるからって、努力を否定しているわけじゃない。人の何倍も練習をしたのでしょう。それは間違いなく事実でしょう。

 

結局、人は自分のことしかわからんのです。他人のことはわからない。

大抵の人間が、自分は普通の人間だ、と思うのと同じように、イチローも自分は普通だ、と思っていることでしょう。

最初は出来なかった事を、猛練習で出来るようになった経験が、自分を普通だと錯覚させている。努力すれば本当に誰でもできるのかはわからない。自分が出来たのだから、他人もできるっていうのは少しヤバイ考え方だ。たとえば、努力でストレートが140キロ以上出せるようになるのだろうか?

やはりそれは天から与えられた才能ではないかろうか?140キロ未満でもプロになれるし、出なくても素晴らしい選手は一杯居る。が、そういうことじゃない。

イチローは、160キロ出せなかったから、俺は天才じゃないと思うのかも知れない。160キロ出せるようなやつはめったに居ない。だから、天才だと。でも、140キロ投げる奴はごろごろ居る。普通だと。

それが、普通じゃないことにイチローは気が付けない。自分は頑張ってできたから、他のやつができないのは努力が足りないって思っているかも知れない。さすがにそれはないか

でも、140キロ後半のストレート、180センチ以上の身長、速い足、イチローが努力で手に入れたものかもしれないが、その半分はやはり、与えられたものである。

野球の天才ですよ。どう考えても。近代、誰にも成し得なかった記録を成したのだから。

 

もし、すべてが努力で何とかなるというのなら、すごく傲慢な考えを持っていることになる。

なぜなら、この考え方は、自分が努力した対象が、何であっても、一流になれるといっているのと同じだからだ。

サッカーをやっていれば、超一流の名選手に

相撲をやっていれば、横綱

楽器をやっていれば、世界を股に掛ける超絶ミュージシャンに

テニスをやっていれば、ウィンブルドンを制覇

イチローの野球における成績を照らし合わせれば、これぐらいのことには、やって貰わないとね。

 

 

でも、イチローの恐ろしいところは、

そうでしょうね。そうですよ。と、さらっと言いそうな所だ。

 

あれっ?イチローの話になってる

こんなはずでは

 

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