犬も歩けば棒に当たるということわざ
「犬も歩けば棒に当たる」
有名なことわざだ。ことわざ界の桃太郎、いや、金太郎と言ったところか。
知名度は最強クラス。でも、このことわざの内容、意味ってわかりますか?
その知名度とは裏腹に、意外と意味が知られていない
犬も歩けば棒に当たる コレだけ見ても意味がわからんもんね。
「鬼に金棒」とても分かり易い。ただでさえ強い鬼が武器持ってる。意味もそのままだし。
犬が歩いたら、棒に当たるってなんだよ!!意味不明よ!!
まあ知名度は「江戸いろはカルタ」の最初の「い」だからだろうね。
さて、実際の意味を調べてみよう!
①「棒に当たる」とは、人に棒で殴られるという意味。
本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味であった。
②現在では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われている。
意味が真逆?
昔と今では意味が違っていることわざなのだ。
昔の、本来の犬棒は「棒に当たる」とは、人に棒で殴られるという意味。という割とハードな内容だったのだ。
それにしても真逆だ。
うろうろしてると、棒でぶん殴られるぞ! と
うろうろしてたら、いい棒見つけちゃった! だもの
確かに現代に住む我々は、今のバージョンがシックリ来ると感じる。
しかし昔は(成立は江戸時代らしい)、犬は棒でぶっ叩かれるほうがシックリ来てた、と、いうことになる。
その理由を解く鍵は「暴力の人類史」にある
答えはこの本にある。
とても高くぶ厚い本だ。
この本の内容に
「昔はよかったなんていうけど、昔は超野蛮だよ。今は平和、みんな優しくなったよね」
って言う主張がある。
昔は、超カジュアルに、娯楽として動物を虐め殺してた。って事実があった。
例としてこんなのがある。
縛った鶏に向かって、重たい棒切れを投げつけて遊ぶというものだ。
他にも、狐潰しだのガチョウ引きだの、現代の感覚からすると受け入れがたい残酷さだ。
犬猫なんてものは、昔は、虐めようが殺そうが、別に何のことは無かった。ということらしいのだ。人類の歴史からしたら、ほんの少し前までは。
暴力の人類史をある意味証明している
犬も歩けば棒に当たる
この、ことわざの変節っぷりは、まさしく、暴力の人類史を証明している。とも言えるのではないか?
今の我々はうろうろしてる犬を棒でぶっ叩くってのはあまりピンとこないが
江戸時代の人間は、あー、うろうろしてる犬、棒でぶっ叩くよね!って思ってたってことなのだ。
だって、ことわざになってるってそういうことだよね?
すごく共感できて、分かり易い例ってことだもの。
今の人間には意味が通じなくなったから、ことわざも理解されなくなった。
そして意味まで変わっていったのだ。
数百年で人の価値観はガラッと変わった。
犬も歩けば棒に当たる
このことわざ一つ取ってみても、それの証明になっていると言えるのではないか?