ダメなのは知ってるけど

ささくれ千切っちゃったりする

【負け犬エッセイ vol.2】オレは自己責任に染まってた。しかも下を叩いて笑ってた。

 

今日の話(ざっくり)

オレは氷河期世代。
就職できないのは自分が悪い。
非正規なのも、出世できないのも、全部オレの責任。

――そう信じてた。いや、信じ込まされてた。
しかも、たちが悪いのは、それだけじゃない。

自分より下の人間を見て、内心ちょっと笑ってたオレがいた。

「自己責任」が標準装備だった時代

就職できない? 自己責任。
メンタル崩れた? 自己責任。
非正規? 貯金ない? 結婚できない?
はい、ぜんぶ自己責任。

オレらの世代って、なんかこう、
スタートから“詰み”みたいな空気だったのに、責任だけは大人並みに背負わされた世代だと思う。

染まってた。オレ自身が、自己責任論に

たとえば、TVはこう言っていた。

「今の時代、正社員になれないのは“自己管理”の問題です」
「厳しいのはみんな同じ。その中で勝ち残った人が“努力した人”なんです」

これ、言い返せんかった。
たしかにオレは就活がうまくいってなかったし、エントリー数も少なかった。
だから「やっぱり自分のせいだな…」って、しっかり納得してしまった。

上の世代にも言われた。

「もっと上の時代は職なんて選ばなかった。集団就職だ。」
「甘いこと言ってないで、根性出せ」

そう言われたら、「オレが弱いだけか…」って、言い返せんかった。
社会からじわじわ責められながら、
「自分が全部悪い」って思い込んでいった。

でも、ある時ふと思った。

たしかにキツかったかもしれんけど、未来はあったやん?

昇給があった。ボーナスがあった。
働けば働いた分、少しずつ生活が良くなって、――
「普通に働いてれば報われる」という仕組みが、まだ生きてた時代やった。

オレらの時代はどう?
給料は上がらん、貯金も増えん。
頑張っても、何も積み上がらん感じが、ずっとあった。

一部の“勝ち組”が、自己責任論に追い打ちをかけてくる

でも、ここでまたややこしいのが、
そんな無理ゲーの中でも、なぜか“勝ってるやつ”がいるってこと。

もちろんそいつらが悪いわけじゃない。
ちゃんと頑張ったんやと思うし、能力もあったんだろ。

でも――
その存在が、「お前にもできたはずだろ?」って社会に言わせる材料になる。

「同じ氷河期でも、成功したやつはいるじゃん」
「やっぱり、できるやつはやってるんだよ」

そうやって、「負けたやつは自己責任」って論理がますます正当化されていく。

 

社会に叩かれて、自分でも自分を殴って、でも足りずに“下”を叩いてた

で、ここからが一番ダメなとこなんだけど。
オレ、自分より下に見える人たちを見て、
どこかで**「まだマシな方」って思ってた。**

  • 無職の人を見て、「いや、オレは働いてるだけマシ」

  • バイトの同世代を見て、「オレはまだ正社員やし」

  • 精神病んでる人を見て、「オレはまだ大丈夫」

見下すことで、自分のボロを隠そうとしてた。

それ、今思えば完全に加害者だったと思う。
オレは“被害者ヅラした加害者”だったんよ。

なんでそんなことになったのか

たぶん、「自分だけがダメなんだ」って信じ込まされすぎて、
もうそれ以外の考え方を知らんくなってたんだと思う。

だから、自分が責められすぎてしんどくなると、
誰かを下に置かないと、自分を保てなかった。

自己責任に染まりすぎてた

努力は大事。でも、運も構造もでかい。
責任はある。でも、全部じゃない。

誰かを叩いても、自分が楽になるわけじゃない。
むしろ余計、苦しくなるだけやった。

 

最後に

誰かを見下して安心してたオレらは、
いつから“加害者のロジック”に回ってたんだろう。

 

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